1. |
溶射とは、1910年、スイス国、Dr.M.U.Schchoop(Dr.ショ−プ)により、初期ガスフレ−ム式溶射法が開発された。 チップミキシング型ノズルにて、溶解アセチレンガス、及び酸素を使用して、3000℃の火炎を発生させ、中心部に金属線を供給し、熔融噴射(ガスノズル周辺から圧搾空気噴射)し、純金属被膜を形成させるメタルスプレ−工法を確立させた。 本溶射法の原理は、現在でも変わることなく応用され続けられている。 |
2. |
1920年以後は、アメリカ(Metal Coating Co,of America.設立)、同時期、イギリス(Metallization Ltd,)、フランス(Societe Nouvelle de Metallizaton)、ドイツ(Schliha Werke)等が次々と溶射装置を開発した。 日本では、1921年、江沢常譲二郎氏が、Dr.ショ一プから製造権を買い取り、日本メタリコン工業所を設立した。それ以後、溶射のネイミングをメタリコンと呼称している。(Metalicon 古ラテン語金属化の意味) |
3. |
ア−ク溶射は、溶解アセチレンガスのコストが高く、1915年頃から、現在のDCア−ク溶射装置の原型が開発されている。
我が国の溶射は、同様の理由により、ACア−ク溶射からスタ−トした。1945年頃からは、米国を主流とするプラズマ溶射が参画し、主としてジェットェンジン部品の、高温高酎磨耗皮膜として、各種セラミック(副合材を含む)コ−テング溶射が増大した。 |